国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

安達ケ原の鬼婆とは?

「安達ヶ原の鬼婆(あだちがはらのおにばば)」とは、能の『黒塚』、長唄・歌舞伎舞踊の『安達ヶ原』、歌舞伎・浄瑠璃の『奥州安達原』として知られる伝説です。

 

観世寺は、その鬼婆伝説の地として有名な寺。

 

歌舞伎役者の市川猿之助さんはじめ、安達ケ原の鬼婆を演じるときに参詣する寺でもあります。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

奥州安達ケ原「黒塚」縁起

観世寺に伝わる、奥州安達ケ原「黒塚」縁起によると、鬼婆の伝説とはつぎのような内容になります。

 

名を「岩手(いわて)」という、京都の公家屋敷で乳母をしていた女が、のちに鬼婆となります。

 

岩手は、手塩にかけて育てた姫の病気を治したい一心から「妊婦の生肝を飲ませれば治る」という易者の言葉を信じて旅立ちます。

 

そして、たどり着いたのが、安達ケ原の岩屋でした。

 

木枯らしの吹く晩秋の夕暮れどき、伊駒之介(いこまのすけ)と恋衣(こいぎぬ)と名のる若夫婦が、一夜の宿を「岩手」に請います。

 

ところがその夜、身ごもっていた恋衣がにわかに産気づき、伊駒之介は薬を求めに出ていきました。

 

老婆「岩手」は、待ちに待った妊婦の生肝をとるのはこのときとばかり、恋衣に馬乗りになり、出刃包丁をふるって、苦しむ恋衣の腹を裂き、生肝をとってしまいます。

 

このとき恋衣は、苦しい息の下から

「わたしたちは、小さいときに京都で別れた母を捜し歩いているのです」

と語ります。

 

この言葉を聞いて、「岩手」は恋衣が持っていたお守り袋をみて、我が子であったことに驚きます。

 

そして、自分のいとしい娘を殺してしまったことで「岩手」は気が狂い、鬼と化してしまいます。

 

それからは、宿を求める旅人を殺し、生血を吸い、肉を喰らい、いつしか「安達ケ原の鬼婆」といわれるようになり、全国に知られるようになりました。

 

数年後、紀州熊野の僧「阿闍梨祐慶東光坊」が安達ケ原を訪れ、鬼婆の部屋の秘密を知り、逃げ出します。

 

しかし、鬼婆となった「岩手」は、すさまじい剣幕で追いかけてきます。

 

東光坊は、逃げ切れないと思って座り、如意輪観音の笈をおろして祈願すると、如意輪観音が空高く舞い上がり、白真弓で鬼婆を射殺してしまいました。

 

死んだ鬼婆を埋めた塚を「黒塚」といいます。 

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
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国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

化け杉

くわしい由来は見当たりませんが、境内には「化け杉」があります。

 

鬼婆の岩屋にも、杉が岩を砕くように生えています。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

大木に成長する杉も、はじめはこんなに小さな木だったことがわかります。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

黒塚とは?

安達ケ原の鬼婆が埋葬された場所を「黒塚」といいます。

 

観世寺の寺内ではありますが、少し離れた阿武隈川の近くにあります。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

みちのくの 安達ケ原の黒塚に

鬼こもれりと 聞くはまことか

 

という、三十六歌仙の一人、平兼盛が読んだ有名な歌があります。

 

「黒塚」は歌枕であるためか、松尾芭蕉も「奥の細道」で立ち寄っています。

 

松尾芭蕉が立ち寄ったことから、「奥の細道風景地」として、国指定の名勝となりました。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

正岡子規も

「涼しさや 聞けば昔は鬼の家」

という句を詠んでいます。

 

また、白河藩主で寛政の改革を行った老中・松平定信も、このような歌を残しています。

 

行く末は 安達ケ原の露の身も

国を守りの鬼とならなん

 

改革を断行するという決意がこもった歌のようです。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

観世寺とは

真弓山観世寺は、神亀3年に阿闍梨祐慶東光坊が開基したとされる天台宗のお寺です。

 

本堂は、天明8年に再建され、本尊は阿弥陀如来です。

 

観世寺は、安達三十三観音霊場の十四番札所となっています。

 

また、宝物館には、奈良時代に鬼婆が使っていたといわれる遺品の数々が展示されています。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

白真弓如意輪観音堂は、文化9年に再建されたもの。

 

ここにある白真弓如意輪観音は、行基によるものとされ、60年に一度の御開帳となります。

 

残念ながら最後に御開帳されたのがいつかは、わかりませんでした。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

薬師如来堂は、もとは観世寺の蔵だったところだそうです。

 

万延元年に再建されたもの。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

こちらは毘沙門堂。

 

二本松城主であった丹羽氏が信奉していた毘沙門天が、二本松城落城後に阿武隈川に流れており、これを引き上げた方から、観世寺に預けられたという毘沙門天があります。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺
国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

毘沙門堂の右手には、明治時代に奉納された絵馬でしょうか?

 

暗いのですが、よくみるとあざやかな色彩が残っています。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

 

毘沙門堂は明治43年に再建されていますが、その証拠に、職人が残した銘がありました。

 

国指定名勝(奥の細道風景地)安達ケ原鬼婆の岩屋と黒塚の観世寺

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