
会津東軍墓地
阿弥陀寺は、戊辰戦争で亡くなった戦死者の遺骸が埋葬された場所です。
その数は1300名にものぼり、今でも春・秋の彼岸には供養会が行われています。
阿弥陀寺は、蒲生秀行の時代、1603年に良念が開山しました。
戊辰戦争で堂宇が焼失し、明治3年には若松城の小天守にあたる「御三階」を移築し、仮本堂としています。



斎藤一の墓
最後の新選組局長として、最後まで会津藩に付き従った斎藤一の墓が、阿弥陀寺にあります。
斎藤一は、会津藩士の娘・高木時尾と結婚し、会津藩が斗南藩(青森県)に移ったときにも同行し、命運をともにしています。
その斎藤一の墓は、会津東軍墓地として現在は囲われているなかに建つ「戦死墓」の裏側にあります。
「霊魂は会津藩とともにありたい」という、斎藤一こと藤田五郎の意志を感じるような場所です。


現在まで残る鶴ヶ城の遺構
明治3(1870)年に、新政府軍に解体された鶴ヶ城の小天守にあたる御三階が、現在も阿弥陀寺に残されています。
外見は三階建てですが、内部は四階建て。
また板敷きの床は歩くと音の鳴るうぐいす張りで、最上階へは引き上げ式の梯子という特殊な構造をしており、かつて鶴ヶ城にあった時には秘密会議に使われていたといわれています。

JR七日町駅から徒歩で
阿弥陀寺は、JR七日町駅前にあります。
市内循環バスの場合は、「阿弥陀寺東」で下車してください。


慶応4年(1868年)8月23日、戊辰戦争の戸ノ口原の戦いから敗走した白虎隊士20名が、戸ノ口堰洞穴150メートルの用水トンネルを潜り抜けました。
戸ノ口堰洞穴は飯盛山の中腹にあり、鶴ヶ城の様子をみた白虎隊士らは、すでに落城していると勘違いし自刃にいたります。