
中国から味噌を伝えた法燈国師
天栄村安養寺という地区名と同じ安養寺には、法燈国師が晩年自分の姿を彫ったといわれている座像(福島県重要文化財)が安置されています。
鎌倉時代末期の約710年前に造られたものといわれています。
残念ながら、重要文化財とあって、写真のように厳重です。
撮影できず残念でした。

お堂の裏手に続く苔むした石段。
この石段を登り切ったところには、小さなお墓のようなものがありました。
竹林に囲まれた静かな場所に立つと、700年も前のことが現実のようにも思えます。

安養寺の入り口には、道祖神のように、石板に掘られた仏さまが立ち、出迎えてくれます。


法燈国師とは?
法燈国師という名前で検索すると、ウィキペディアで「心地覚心」という僧のページにたどり着きます。
後醍醐天皇より法燈禅師、法燈円明国師と諡されたとありますから、当時は相当な高い地位にあった人物のようです。
それもそのはず、49歳で中国・宋に渡り、味噌の製法を持ち帰り、経山寺味噌(現在は金山寺味噌として知られる)を造った禅宗の僧侶。
国師という尊称を天皇から与えられてもおかしくないほどの方なのです。
長野県松本生れの法燈国師ですが、白河藩主の松平定信が編纂させた「白河風土記」では、須賀川市長沼生まれの漁師とあるそうです。
長野県出身とされる法燈国師の地元、長野県佐久市安原にある臨済宗(妙心寺派)安養寺にも法燈国師像が安置されています。こちらは、鎌倉様式を伝える室町時代の像だそうですから、法燈国師像の古さでは、天栄村に軍配が上がるようです。
