
二階堂氏家臣・常松館(岩渕館)本丸跡に建つ神社
岩渕神社は、釈迦堂川からほど近い、岩渕丘陵に建つ神社です。
岩渕神社の本殿がある場所には、かつて常松館(岩渕館)の本丸がありました。
須賀川・二階堂氏の家臣でもあった常松氏の館であり、交通の要衝に位置しています。
明治時代に、春日社と明神社が合祀されて岩渕神社になったそうです。



足を踏み入れるのがためらわれるほどの、うっそうとした森に守られた岩渕神社に足を踏み入れると、苔むした石段があります。

鳥居からは良く見えませんが、石段はさらに続き、森の奥深くまで続いています。

二つ目の石段を登り切って振り返ると、思いのほか高い場所に来たことがわかります。

鳥居周辺の森とはうってかわって、社殿のある場所は明るい日差しがあります。
境内はさほど大きくはありませんが、よく整備されています。

二階堂氏と常松氏
源頼朝の奥州征伐により奥州藤原氏が滅亡すると、頼朝は、白河の関よりも北に御家人を配置します。
これにより福島県内に所領を与えられのが、伊達氏・相馬氏・二階堂氏・蘆名氏・畠山氏・結城氏などです。
二階堂氏は岩瀬地方を支配していましたが、幕府の命令に従わなくなった須賀川代官の二階堂治部大輔を、鎌倉から下向した二階堂為氏が討ちました。
その後、二階堂為氏は須賀川城に入りました。
この為氏が、須賀川二階堂氏の初代当主といわれています。
天正17年には伊達政宗に攻められ、須賀川城は落城します。
このとき二階堂氏の家臣であった常松氏は、兄と弟が別行動をとります。
兄の常松氏は伊達軍へ寝返えり、弟は二階堂氏に付き従ったといわれています。
岩渕神社の鳥居は、東のほうを向いています。
主君・二階堂氏の居城、須賀川城のほうを向ているのかもしれません。

岩渕地区の住民のかたは、鳥居正面から参拝することがほとんどなく、裏道からあがってくるほうが多いそうです。
岩渕神社が、かつては城館だった名残かもしれません。