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桑折西山城(こおりにしやまじょう)とは?
陸奥国の守護に任じられた伊達稙宗(だてたねむね)が、1532年(天文元年)に、梁川城(福島県伊達市)から桑折西山城に居城を移します。
このときに、現在の規模に築城されたと伝わります。
桑折西山城は、1548年(天文17年)に、伊達晴宗が米沢に移るまで、伊達市の本拠となった山城です。
本丸・二の丸と、中館・西館とに別れており、その間の谷間は一般車が通れる道路となっています。
また、江戸時代末期に造られた砲台場もあり、山全体が巨大な城という構造です。
本丸からは、新幹線、東北自動車道が見え、今も交通の要衝であることが見て取れます。
桑折西山城は、1990年(平成2年)に、国の史跡に指定されました。
史跡指定面積は、285,520.71㎡となり、本丸三角点の標高は192.8メートルです。
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桑折西山城の正門は、観音寺脇にある駐車場そばにある、桑折西山城登城口となります。
ここから石段を登り、左手に墓地をみて進みます。
これが、本来の大手口登城口となりますが、大手道は未整備のため、迂回路を登って15分程度歩くと、大手門跡となります。
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右手に登ると砲台場、左手に本丸跡が広がり、この大手門跡が最も低い位置となるかもしれません。
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砲台場は、戊辰戦争の際に、仙台藩によって造られ、奥州街道にむかって大砲を設置した場所です。
本丸と障子堀
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本丸の中心建物の跡は、伊達家の政治と儀式の場とされています。
伊達稙宗は、1536年(天文5年)に、分国法「塵芥集(じんかいしゅう)」を12人の宿老衆とともに制定しました。
戦国時代の分国法のなかでも最多の171の条文により構成された「塵芥集」は、ここで発布されたと推定されています。
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本丸の周囲には、小田原城で有名な障子堀が残されています。
写真では、凹凸がわかりにくいかもしれません。
障子堀とは、堀底を仕切るような土塁状の障害物を設けられているもので、土塁は堀を掘ったときの掘り残しで、造成時の手間が少ないと考えられています。
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かつて桑折西山城の裏側に住んでいた方にうかがったところ、昔から城山として残されており、本丸前の段々もそのままだということです。
素人目には、ここに段々畑でもあったのか、と思ってしまいますが、畑になったことはないそうです。
1542年(天文11年)に、稙宗と嫡男・晴宗とが対立し、伊達家を二分する「天文の乱」が起こると、晴宗が稙宗を桑折西山城に幽閉します。
1548年(天文17年)に、将軍・足利義輝の命によって和睦し、晴宗が伊達氏家督を継いで、稙宗は丸森城(宮城県丸森町)に隠居します。
そして、晴宗も居城を米沢城(山形県米沢市)に移し、西山城は破却されます。
中館・西館
中館・西館は、桑折西山城が廃城になった跡に作り直された部分です。
発掘によって出土した焼き物や遺構のかたちから、古い時代のものが伊達市の居城時代、新しい改修後のものが、戦国時代末期以降に砦として再構築されたものと考えられています。
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中館・西館には、桝形状虎口が残されています。
桑折西山城全体を、じっくり見て歩くと2時間ほどかかります。
本丸は、とても気持ちが良い場所なので、本丸を往復するだけなら1時間程度だと思われます。
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うぶかの郷
桑折西山城の裏側を流れる産ヶ沢川に面して、「うぶかの郷」があり、こちらの駐車場も利用できます。
「うぶかの郷」は、宿泊施設でもありますが、高度アルカリ性(pH9.8)の地下水を加温した癒しの湯で汗を流すことができます。
入浴料は385円(大人1回)。
正門から登るほうが、山城の広大さを感じられますが、「うぶかの郷」方面からは車で本丸まで登ることができます。
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JR桑折駅から徒歩20分
桑折西山城登城口までは、JR桑折駅から徒歩20分ほどです。
首都圏からは、東北新幹線を利用すると日帰りできる場所になります。
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大きな椎茸のような形状をした、樹齢400年以上の笠マツ。
明治天皇が東北巡幸のときに「御蔭廼松(みかげのまつ)」と命名され、1980年に、福島県の天然記念物に指定されました。
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桑折町 無能寺の笠マツ(御蔭廼松) (火, 07 12月 2021)>> 続きを読む
国指定史跡 桑折西山城跡 (Tue, 07 Dec 2021)
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