
熊野神社とは?
日本全国に3000以上あるという熊野神社は、中世以降に修験者(先達)によって日本全国に熊野信仰が拡大したことから発生したといわれています。
鏡石町には、旧奥州街道の宿場が2つ、笠石宿と久来石宿がありました。
この熊野神社は、笠石地区の産土神社であり、笠石宿の南端にあたるようです。
奥州街道(おうしゅうかいどう)とは、江戸時代の五街道の一つで、日本橋を起点として千住から白河へと至る街道です。
白河以北は、それぞれの藩が管理していたそうで、参勤交代のメインルートとして利用されていました。


熊野信仰とは?
熊野神社の本家は、和歌山県にある熊野三山(世界遺産)になります。
熊野は、修験道の地として那智の滝(熊野那智大社)があったほか、熊野坐神社(熊野本宮大社)と熊野速玉大社の3社で構成されています。
熊野信仰は、熊野詣という形で、平安時代に発達しました。
平安時代には阿弥陀信仰が流行し、これにともなって浄土教が盛んになりました。熊野の地は浄土と考えられ、天皇・貴族がこぞって熊野詣を行いました。
京都と熊野をつなぐ熊野街道もこれにともなって発達しています。

補陀落(ふだらく)
熊野神社に関係する事柄には、補陀落(ふだらく)渡海があります。
補陀落とは観音菩薩の住むところ、または観音菩薩が降り立つとされる山のことを指します。
この補陀落を目指して、熊野の那智滝から熊野灘にむかって小舟を出す補陀落渡海がさかんに行われました。
また、日光も補陀落になぞらえられています。


笠石地区の熊野神社の境内は苔むしており、うっそうとした杉林に囲まれています。
誰もいない境内にひとりでいると、なにか禍々しいものに出会ってしまうのではないかと感じるほどの静謐があります。



