
国指定名勝 會津松平氏庭園
御薬園は、1380年代、葦名直盛(あしななおもり)のころに、朝日保方(あさひやすかた)という老人が、この地にあった薬泉を用いて、疫病に苦しむ農民を助けたことに由来します。



このときの薬泉は「鶴ケ清水」と名付けられ、そのかたわらに朝日保方を祀る「朝日神社」が建てられました。
その後、1429年~1441年には、葦名盛久(あしなもりひさ)が、この地が霊地であるとして別荘を立てます。

1643年以降、保科正之は、霊地の由緒を正して、別荘を再建。
2代藩主・保科正経(ほしなまさつね)が、園内に薬草を栽培をはじめます。
3代藩主・松平正容(まつだいらまさかた)は、朝鮮人参を植え、これを広く民間にも奨励したことから、御薬園と呼ばれるようになります。
目黒浄定作 借景地泉回遊式庭園
透明度の高い清水が流れ込む心字池を中心に、築庭されています。
池にはメダカと思われる魚群を見ることができます。
鯉は数少なく、いかにも武家風の回遊式庭園です。











楽寿亭
楽寿亭は、庭園の中心に位置し、心字池に囲まれています。
納涼・密議などに利用された場所です。





御茶屋御殿
御茶屋御殿は、主に藩主の休憩所として利用された場所です。
幕末の藩主・松平容保公一家が住まいとするために、松の間と二階部分が増築されました。


JR会津若松駅から市内循環バスで
市内循環バスは、210円均一料金で、市内のどこにでも行くことができます。
鶴ヶ城からは徒歩20分ほどの距離です。
鶴ヶ城の天守閣・麟閣と御薬園共通入場券がお得です。

土津(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に、保科正之が、吉川惟足から吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来しています。
奥の院となっている保科正之公の墓所は、国指定史跡となっています。

慧日寺は、奈良・東大寺、法相宗の僧の徳一上人により開山されました。
慧日寺が開山される前年には猪苗代湖が誕生しており、平将門が寄進した山門があるなど、平安から鎌倉時代の日本のもうひとつの歴史を感じられる場所です。