
国指定重要文化財で文部省指定史跡
滝沢本陣横山家住宅は、国指定重要文化財で、文部省指定史跡でもある会津藩の本陣だった場所です。
参勤交代、または土津神社参拝のときなどに、旅支度を整えるためにかならず立ち寄る休息所でした。




戊辰戦争当時の弾痕や刀傷が残る大本営
飯盛山のふもとにある滝沢本陣は、戊辰戦争のときには大本営となりました。
西軍の進行を、戸ノ口原で食い止めようとして、白虎隊に出陣命令が降りた場所でもあります。
同日、土方歳三率いる新選組が、松平容保、白虎隊を護衛していました。
滝沢本陣は、戊辰戦争当時の弾痕や刀傷が残る、生々しい歴史を今に伝えています。


内部には、藩主が愛用した品々50点あまりと、参勤交代の道具、また400年間にわたる数百点の貴重な古文書が陳列されています。

建築は1596年(文禄4年)の茅葺き書院造。
庭園は遠州流です。
参観料金は大人300円となっています。
JR会津若松駅から市内循環バスで5分
滝沢本陣は、飯盛山のふもとにありますので、「飯盛山下」でバスを降りて、5分ほど歩いた場所にあります。
近くには、さざえ堂などがありますので、飯盛山参拝とあわせて行くと良いでしょう。

慶応4年(1868年)8月23日、戊辰戦争の戸ノ口原の戦いから敗走した白虎隊士20名が、戸ノ口堰洞穴150メートルの用水トンネルを潜り抜けました。
戸ノ口堰洞穴は飯盛山の中腹にあり、鶴ヶ城の様子をみた白虎隊士らは、すでに落城していると勘違いし自刃にいたります。

土津(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に、保科正之が、吉川惟足から吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来しています。
奥の院となっている保科正之公の墓所は、国指定史跡となっています。